マインドフルネスと禅の違いをご存知でしょうか?おそらく同じものだと認識されている方が多いと思います。

ここでは違いについてお伝えします。

 

「マインドフルネス」は禅なのか?

 

最近、「マインドフルネス」と呼ばれる瞑想法が注目を集めています。集中力を高めたり、うつ症状の緩和に効果があるとされ、欧米を中心に流行し、大企業でも取り入れられていることで知られています。

企業は、マインドフルネスに基づく、企業の経営や社員研修のやり方、リーダーシップの育て方などを実践しているのです。

 

マインドフルネスという語は、仏教における「念(サティ)」の英訳語で、「心にとどめておくこと」「気が付くこと」「注意すること」などと訳されます。

 

つまり、もともとは仏教の用語で、東南アジアやスリランカなどの上座部仏教で行われている瞑想法に由来します。それがアメリカを中心に、一般の人でも実践できる形にアレンジされ、効果が科学的に実証されるとともに急速に広まっていきました。

 

やり方は、基本的には坐禅と同じです。静かに座って、自分の呼吸に意識を集中させる。気が散って他のことを考え出したら、再び意識を呼吸に戻す。簡単に言えば、そういうことになります。

 

禅とマインドフルネスの違いとは

 

もとは仏教に端を発するものであり、いまなお、一般に仏教の瞑想法と混同されることが多くあります。

また日本では、マインドフルネスから坐禅に興味を持つ人も増えていて、お寺の坐禅会がかつてないほど人気になっているという報道も見られました。

とりわけ、禅とマインドフルネスを同じものだと考えている人は少なくないと思われます。

 

まず知っていただきたいのは、禅とマインドフルネスは、瞑想するということは同じであっても、本質が全く異なるということです。

マインドフルネスによって不安な気持ちが解消されたり、身体が健康になったりするというのは、とてもいいことだと思います。

効果が科学的に証明されることも、多くの人が興味を持ち、実践してみようと思うきっかけになりますので、ぜひ始めてみることをオススメします。

 

ただ、効果があるからやろうというのは「利益」の考え方になると思います。禅はそのような考え方をしません。

禅とは物事の真実の姿、 あり方を見極めて、これに正しく対応していく心の働きを調えることを指します。

つまり、一番根本にある瞑想する動機、目指すべき方向が、禅とは全く異なっているのです。

 

 

ランニングを例にあげてみます。

皆さんはどのような目的で走るのでしょうか。おそらく「ダイエット」「リフレッシュしたい」「速いタイムで走りたい」などの目的があるのではないでしょうか。

これこそ、利益を求めていませんか。

 

禅では走るために走ります。確かに、走っていたら、体重も減るだろうし、体も強くなるでしょう。

しかし、禅ではそれを目的にはしません。走っていたら自然にそうなっていた、ということでしかありません。

物事を究めるためには、目の前にある短絡的な利益を求めるのではなく、それを実践すること自体が目的にならねばいけないのです。

 

禅は利益求めてはいけない

 

仏教というのは、何らかの神を信じているのではありません。

釈迦という人間が悟りを得たということを信じているわけです。

しかし、その悟りの中身はわからない。彼がどのような境地に達したのかは誰にもわかりません。

 

しかし、それが何なのかを自分で知ろうというのが、仏教の修行者たちのそもそもの動機なのです。

その先に何があるのかはわからない。でも何かがあると信じて、釈迦と同じように苦行を積む。それが仏教や禅の本質なのです。

 

 

つまり、こうやってトレーニングすれば不安レベルが下がる、健康になるということは、もちろん結果としてはあったとしても、禅はそれを目的にはしていません。釈迦の悟った中身は何なのかという、もっと超越したところへ意識を向けます。

 

そして、もし悟ることができたとしても、それで満足して終わってはいけないと禅では考えます。大切なのは、悟りを得たらその経験を世のために使っていくこと。禅の修行はあくまでもその手段にすぎないのです。

そういった意味で、自分の集中力を高めたり、幸福感を得たりすることが目的となっているマインドフルネスとは、考え方が根本的に異なるのです。

 

 

ただ同じ瞑想でも、目的やその本質的な考え方は全く異なることがあるということです。

逆に言えば、マインドフルネスと禅を比較し、その違いを知ってもらえれば、禅とは何か、その本質は何か、ということがより明確に理解できるようになるでしょう。